飯の種という言葉はたいてい仕事のことを指す。でも、多くの人は仕事を「飯の種以上」にしたいと思っている。仕事は社会と自分をつなぐメディアだからだ。そのメディアを通じ、誰もが自分や誰かに少しでも良いモノ・コトが生まれるように願い、働いている。そのやり方はさまざまだ。ぼくは人の数と同じだけ、仕事の種類はあると思っている。この連載は「魅力的な仕事の仕方をしているなあ」と気になった人をつかまえて「あなたの飯の種教えてください」と聞くインタビューです。
初めてお会いしたのは2008年冬の南紀白浜。将棋の竜王戦第5局の会場で、カメラを抱えた彼女は控え室と対局場を行き来していた。名刺には大阪の住所とフリーライターという肩書き。20代くらいにみえた。2010年春には、都内のカフェで手にとった冊子に名前を見つけた。「駒doc.」という将棋フリーペーパーで、彼女は編集長とクレジットされていた。(2012年3月末で退任されたそうです)何をしている人なんだろう。将棋の人?出版関係?
- 諏訪さんの職業は何ですか?
何なんでしょう(笑)いちおうフリーライターと名乗っていて、名刺にはフリーライター、日本将棋連盟公認普及指導員と印刷しています。あと駒doc.編集長という名刺も持っています。
- 「駒doc.」読んでます。女流棋士の北尾まどかさんが立ち上げた株式会社「ねこまど」が発行しているフリーペーパーですよね。女性向けっぽい感じの。
「ねこまど」の取締役もしてたんです。
- そんなことまで!普段は?
将棋対局の観戦記や原稿を不定期に書いて、ネット中継スタッフが月4、5日くらい。あとは週1ペースで小学校に将棋を教えにいっています。
- 将棋のプロを目指していた?
いえいえ。観戦記者でいちばん弱いと思います。
- 女性の観戦記者も珍しそうです。
片手で足りるくらいしかいません。しかもわたしは関西在住なので、自分以外は全員男性という仕事も多いです。
- 将棋ファン憧れの職場に、どうやってたどりついたんですか。
説明しようとすると難しいんです。最初から話していいですか。
- もちろん。
中学で囲碁将棋部に入ったのが最初です。ただあまり熱心な部ではありませんでした。3年生が卒業したら、部員が3人になっちゃうようなところ(笑)
- どこにでもありそうな小さな部ですね。
そのころ阪神淡路大震災が起こったんです。その直後に羽生(善治)先生の七冠挑戦を谷川(浩司)先生が王将戦で阻止するという出来事があって、関西で大きなニュースになりました。それで「将棋にプロがいる」と知ったんです。翌年は羽生先生の七冠達成がありました。たまたま入った本屋に「将棋世界」があって、なぜか買ったんです(笑)誌面に出てた近所の将棋道場にいって、そこからちょっと本気で指すようになりました。
- 高校でも続いた?
将棋部には入りましたけど、そこも活発な部ではありません。高校選手権の存在を知ったのも2年生になってから。同じ京都の学校に昨年の全国大会優勝者がいるときいて応募したんです。そしたら「府予選3名枠に応募2名なので全国大会進出です」っていわれて(笑)
- 前年度優勝者と二人きり!
女性の将棋人口が少なかったんです。棒銀しか知らなかったんですけど、全国ベスト8になりました(笑)高3で3級になったら、優勝候補といわれました(笑)いまは初段でも県予選突破できるかどうかというレベルですから、わたしはきっと予選敗退してしまうと思います。
- ほんの10年前ぐらいなのに。
この大会で全国各地に将棋の友だちができました。大学に入るときホームページをつくったんです。女子大生の日常を綴るつもりだったんですけど、将棋の話ばっかり(笑)でも将棋の話しかしない女子大生をおもしろがってくれる人が集まって、また将棋の知り合いが増えたんです。
- 強くなるのとは違うかたちで、将棋との関わりが深まっていったんですね。
そういう感じですね。オフ会をやったらプロ棋士とか奨励会員が来てくださって、北尾(まどか。女流棋士。「駒doc.」発行責任者)さんも当時からの知り合いです。でもやっているうちに、自分は勝負より、誰かがプレーしてるのを見るほうが好きだなと思うようになったんです。定跡や戦法を覚えると、指し手の意味が違って見えてくる。それが面白い。あと将棋の世界には面白い人が多いことにも気がついてきた。
大学卒業後、関西将棋会館道場でアルバイトを開始。するとネット中継の仕事が舞い込んだ。将棋のネット中継では、局面を解説するコメントが大切だ。しかし初段の彼女にプロの指し手の意味が分かるはずもない。まわりの棋士、奨励会員(プロ棋士を養成する「奨励会」の会員。四段以上でプロになれる)にサポートされながら、少しずつ慣れていく。中継では現地の様子をリアルタイムに報じる写真も必要だ。それでカメラを買い、独学と実践で覚えた。すると今度は将棋専門新聞「週刊将棋」から記事執筆の話がやってきた。こうして諏訪さんは「フリーライター」になった。就活も面接もなかった。
- 自然な流れで入っていったんですね。プロの指し手は分かるようになったんですか。
少しは分かるようになりましたけど、棋力に自信がないからイチイチ誰かに確認しなくちゃ書けないのは変わりません。だから強い人はこの世界ではやっぱり有利ですね。敵いません。
- たしかに。でも棋力とは違う視点を活かしたいですよね。
それはよく思います。作家の朝吹真理子さんが去年、符号(▲7六歩のような表記法)をまったくつかわない観戦記を書かれたんです。「やられたー」と思いました。ずっとやってみたかったんですよ。プロの解説をなまじ理解できるようになっちゃったのがマズイのかもと思ってます。
- なるほど。難しいですね。
棋士の写真にもこだわりがあります。記事ではたいてい勝者の顔写真がつかわれます。でもネット中継では必ず敗者の表情も掲載します。負けた直後の姿ってとてもいいんです。
- みんな勝者の表情を撮るから、敗者は大勢のカメラマンを背後に背負うことになるんですよね。
そうなんです。反対側にまわると他社のカメラに写りこんじゃうので、まず横から敗者の表情を狙う。将棋は外見上は静かですけど、脳内はギリギリの攻防。終局で、それがいきなりゼロになる。その瞬間の敗者の姿に、内面が無防備に現れる気がするんです。怒り、後悔、自責。いろんなものが混じり合っているのがすごくいい。それに比べて、勝者は悲しそうな表情になります。
- 悲しそうなんですか。
将棋は勝ちでなく負ける側が宣言して終わるゲームですから、喜びよりも安堵の方が大きいんだと思います。棋士の写真は対局以外でもけっこう撮りますね。
- 諏訪さんからみる棋士の魅力を教えてください。メガネ男子的なところですか?
わたしはルックスより人柄です。子どものまま大きくなったような感じなんですよ。とても純粋。彼らは全員小・中時代「県内で無敵」だったんです。でも奨励会に入るとみな同じくらい強いから、負けてしまう。耐え切れず、すぐやめちゃう子も珍しくない。そういう世界をくぐり抜けて来た人達だから、小学生のような部分が強く残っているのかなあ、と思っています。すごく魅力的です。
- 棋士が好きとなると、いまの仕事は楽しいですか。
楽しいですね。仕事でジャニーズのタレントに会えるのと同じです。業界内に追っかけが潜んでるみたいなものかも。でもサインや写真撮影を頼むことはありませんよ(笑)遊びでなく真剣に取り組んでいます。
- 注目の棋士は?
たくさんいるんですけど、船江(恒平)くんは最近ずっと推してます(笑)あと奨励会のころから目をつけていた子がプロになった!なんて楽しんでたり。
- まさにジャニーズだ!「駒doc.」に、駒を持つ手の写真からどの棋士かを当てる「この手だれの手?」という連載がありますね。女性らしい視点だなと思いました。萌えポイントというか。
棋士の手ってきれいですよね。ずっとやりかった企画なんです(笑)20~30代の女性はいちばん将棋から遠い世代で、子どものときは指してても、進学、就職、結婚という節目ごとに離れていく。同世代の女性との会話で「将棋」という単語を出すと、「あの将棋ですか」と聞き返されるくらい(笑)だから、この世代の人達がもっと将棋に入っていけるようにしていけたらいいな、と思ってこのフリーペーパーはつくっています。
- たしかに将棋が強くなくても、こういう企画は楽しめますね。
盤・駒も好きなんですけど、やっぱり人です。うちわグッズも作りたいんですよ。棋士カードとか。
- タレントグッズ!
そうそう(笑)棋士の似顔絵マグネットをつくった人がいるんです。それがすごく良くて「兄弟弟子セットとかつくろう!」なんて話してます(笑)
- うわー、おもしろい。たしかに揮毫入り扇子とサイン色紙だけじゃ、もったいないですよね。
これまで将棋ファンはイベントに出かけるぐらいしかやることがなかったんですよ。わたしぐらいの年代の女性ファンはじつは山崎(隆之)さんとかお気に入りの棋士を追っかけているのに、グッズがない。だからこれはきっとニーズがあるはずだと思うんですけどね。
- ニッチかもしれないけど、だからこそすごく欲しくなるものってありますよね。
ですよね。商品化できないかなと思ってます。
- ところで、いまのお仕事「飯の種」としてはどうですか?
うーん、正直にいえば生活を成り立たせるには「もうちょい」という感じですね。でも楽しくて仕方がないので、このままがんばればと思っています。
- 今後の活動に期待しています。棋士グッズもぜひ!
ありがとうございます。グッズは必ずつくりたいと思ってます!
諏訪さんはごく自然な成り行きで、楽しみのひとつだったことを飯の種にしている。その流れをつくったのはアマチュア、プロの垣根を越えた「将棋の友だち」だ。彼女のtwitterアカウントをみていると、そのつながりはマニアックに、でも外に向かって、まだまだ広がっているようにみえる。トルタルでも何か連載してくれないかな。(古田靖)